巻頭言 |
Jpn J Radiol Technol 2000; 56(11)
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部会のさらなる充実のために
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佐々木正寿
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2000年も残すところ数カ月となってきた昨今であるが,このところ,有珠山の噴火から始まって三宅島の噴火,加えて鳥取県西部地震など自然による災害が多発している.やはり自然の脅威は人知を超えているのだろうか.被災された方々の 1 日も早い復興を願うのみである. 一方,日本社会全体のタガの緩みを反映したのか,技術立国日本を根底から揺るがしたということでは,先の雪印乳業食中毒事件と,東海村の臨界事故を起こした核燃料加工会社JCOのことが鮮明で苦い記憶として残っている.どちらも効率を求めるなかで基本を忘れてしまうという,考えられない手抜き作業をした結果の事件・事故である.すなわち最優先すべき安全と,事業体として社会に貢献していくという,社会的存在の自覚が欠如していたとしか言いようがない. さて本学会は,ここ数年,組織面では急激な変化を遂げた.監督官庁の指導による定款改正に伴い,代議員制から直接選挙による評議員制,評議員選挙,評議員追加選挙,評議員による総会参加,会計年度の変更,役員の任期,理事・監事の選挙制度の見直し,また平成11年度からは全国 8 部会の統一部会制度のスタート等があったが,組織の明確性,21世紀へのステップ,社会情勢等を踏まえて,多くは理解されるところである. しかし,統一部会制度における部会について考えると,それまで行われていた会員との討議・討論の場であった総会がなくなり,事業計画,予算等は報告する形だけになってしまったため,はたして支障を来すことはないのか.会員の忌憚ない発言の場をどこに求めたらいいのか.これまで以上に会員に対する地域でのきめ細かな対応,活動ができるのか.限られた予算で部会組織の充実が図れるか.などの意見も多く,今後の検討課題として考えると,是非,8 部会同士の連絡網と会員に対する機敏な情報交換手段として,各部会のホームページの立ち上げを早急なテーマにしたいと提案する. 先々月,東北部会第38回学術大会が新潟県で開催された.その歴史を振り返ると,昭和37年,新潟県を含めた東北 7 県支部が合同で学術発表会として発足したのが始まりで,第 1 回を岩手医大の樋口喜代治技師長が主催して岩手県で開催された.その時の発表会は「東北ブロック会」という名称であったが,その後名称は「東北地方会」となり,第11回からは「東北部会」それから現在の「学術大会」となっている.38年間の東北地方の学術研究発表とその蓄積された業績は,貴重な財産となっているとともに,会員相互の交流の場を提供してきた学術大会は,今後も多岐にわたり多様化していくことは必然である. 組織的には平成元年に全国支部長会議において支部広域化が提案されるようになり,東北 7 県も広域支部移行 準備委員会が開催され検討をかさねた.結果,平成 3 年 4 月東北支部が発足した.それから 8 年,平成11年度から 8 部会の統一部会制度のスタートにより東北部会となった.これまで何回か東北部会という名称が使われてはなくなり,また使用されたりと先輩諸兄の苦労を窺い知ることができる. 部会における会員の動向は,平成 3 年 4 月は1,941名であったが,平成11年 4 月の会員数は1,868名となり, 1 人でも多く入会されるよう,魅力ある事業の展開を図っていかなければならない. 一方,部会の柱である事業の一つに前述の学術大会開催があるが,参加登録者の伸び悩み・演題申込数の停滞という問題が存在する.目的意識の多様化,専門分野の細分化,大病院に集中する研究発表が大部分で自分の施設とはあまりかけ離れて参考にならない,難解であるといったことが原因として考えられるため,今後は,単なる研究発表のスタイルだけから脱皮して,専門分野に分かれた教育的セミナ,基礎講座の開設,本部分科会とのジョイント等,学術大会在り方検討委員会を設置して早急に検討実施しているところである. (東北部会長) |