JSRT 巻頭言 | Jpn. J. Radiol. Technol. 2001; 57(3) |
失敗の勧め
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小寺 吉衞 |
学会のおもな事業は,会誌の発刊と学術大会の開催である.私は本学会の会誌の編集を担当させていただいているが,この度,第57回総会学術大会の大会長を仰せつかり,図らずも学会の二つの柱を同時に担当することになった.会誌をお引き受けした当時,多くの方から今の会誌は難しすぎる,読むところが少ないなど,散々なご意見をいただいた.そのなかで,内容が難しいということについては私は仕方がないと思っている.少なくとも論文であるのだから,その分野の最先端のことが書かれており,分野外の人からみればチンプンカンプンということも少なくないであろう.論文を読むのは,その分野に興味があり,その分野の研究をやっている,あるいはこれからやろうとしている人たちであって,そういう人たちにとっては,たとえ内容は難しくとも,一行一行正確に検証しながら読むのが普通である.部屋で寝転がって読むようなものではない(私は時々しているが).当時の会誌は,論文誌の意味合いが強く,必然的に読みものとしては不適であった.このことを理解してクレームをつけている人は少なかったのではなかろうか.そこで,私は,読みものとしての企画のページの比率を上げることにした.また,ページを繰ってすぐに論文というのも取っ付きが悪いということで,企画ものを最初に掲載し論文を後に下げた.論文については,放射線技術学という分野の持つ特性を活かすことを考えた.放射線技術学は非常に広範な領域に関係する学問であるが,臨床現場では,これらの領域から関係するものをすくい上げ,必要に応じて加工していく.実は,この加工の技術がしばしば重要な意味を持つ.原理のオリジナリティよりも現場での有効性のほうが大事である場合が多い.これは,私の専門である画像処理の世界でも同じで,高度な数学を駆使したオリジナリティの高い処理アルゴリズムよりも,よく知られた既成のアルゴリズムの組み合わせで有用な処理が行えることは少なくない.この場合,原理のみにオリジナリティを求めたのではこれらの研究は論文の対象外になってしまう.放射線技術学にとって重要なことは何かということをよく考えるべきである.その具体的な現れとして,会誌に「臨床技術」という区分を新たに設置したが,会員の多くには,まだその本来の主旨は理解されていないようである.最終的には,会誌は一つの情報誌であると考えている.この雑誌をみれば,放射線技術学の動向が分かる,そういう雑誌を目指したい. 今回,大会長を引き受けるにあたり,いくつか運営上新しいことを導入した.一つはインターネットによる演題の登録で,今大会が初めての導入にもかかわらず全演題申込数の 8 割を占めた.これからの主流になるものと思う.もう一つはパソコンによる発表で,これも永年の懸案だったのだが,昨年秋季の大会で木下大会長が一つの突破口を開いてくださった.経費の問題,準備の問題,当日予想される会場での混乱など懸案事項は山積みで,歴代の大会長が導入を躊躇された理由がよく分かる.しかし,何ごとも初めがなければ先に進まない.あえて失敗を覚悟で導入を決定した.それ以外は全くシンプルな大会運営に努めたつもりである.なぜなら,大会の主役は参加される会員個人個人であり,実行委員会はそれをお手伝いするだけだからである. 編集委員会をお引き受けしてから多くの新しいことに挑戦するとともに数々の失敗を経験した.今回の大会でも同じようにまた多くの失敗を引き起こし,参加した会員諸兄にはご迷惑をおかけするものと思っている.しかし,私は失敗を恐れてはいないし,それを恥かしいこととも思わない.むしろ,失敗を恐れて何もしないことの方が恥ずべきことであると考える.失敗の積み重ねはいつかそれが本学会の力となり,会員にとって有益なものになり得ると信じている.どうか,厳しい眼で大会と会誌をご批評いただき,明日の学会を目指していただければ幸いである.神戸でお会いしましょう. (編集担当理事・第57回総会学術大会大会長) |