JSRT 巻頭言 | Jpn. J. Radiol. Technol. 2002; 58(10) |
放射線技術学とは
|
![]() |
小寺吉衞 |
編集委員会を担当して今年で 7 年目になる.その間,多くの方々のご支援をいただいて曲がりなりにも雑誌を発刊しているが,まだまだ不十分であることは否めない.特に論文審査にかかわる問題は,学会の根幹にも関係する重要な問題であり,一部は土井邦雄名誉顧問の意見を受けて,編集委員会の考えとしてご披露させていただいたが,多様な学問領域を持つ本学会の編集委員会を担当するものとして,この 6 年半の間考え続けてきたことを述べたい. 私は 4 年半前,診療放射線技師を養成する大学に赴任した.短大の最後の学生を見送り,新たにできた保健学科もこの春には大学院を持つにいたった.私の在籍する専攻は,放射線技術科学と呼ばれている.もちろん,学生も放射線技術学を勉強している.ところが,現在の価値観で考えたとき,放射線技術学は非常に曖昧な学問分野である.たとえば,私の専攻の卒業生が工学の分野で競ったら工学部出身者にはかなわないであろう.同様に医学の領域でも医師にはかなわない.彼等が真の力を発揮できるのは,やはり放射線技術学の世界ということになる.ところが,この放射線技術学とはいったいなんであろうか.名前はあるが実態はまだこの世に存在しないようにも思える.しかし,少なくとも次の意見には多くの方々が同意されるであろう.「放射線技術学を支える学問領域は極めて広い.」私の大学でも工学系出身,医学部(医学科)出身の医師,そして診療放射線技師と多様な分野の教員から成り立っている.とても私のような工学系出身のものが,すべてをカバーできるものではない.このことは,編集委員会でも論文の審査時に痛切に感じたことである.本当の意味で,放射線技術学をすべてカバーできるのは診療放射線技師の方以外にないのではなかろうか.今後はさらに情報学なども必要であり,また,以前からいわれていることであるが,心理学も重要な要素を占めるであろう.まさに学際領域といわれる所以である. かつて科学を学問する人は哲学者といわれていた.欧米での学位がPh.D(哲学博士)と呼ばれているものこれが理由であろう.科学は,その哲学が物理学,化学,生物学などに分化したものの総称である.哲学は科学になることによって,より専門性を増した.その分,細分化された.現在の学問分野の多くは,この科学に基づいている.学会も多くはその流れを汲んでおり,学位もそれに派生して出ている傾向にある.しかし,本来,真理探究とは,われわれ人間が区分した枠組みにおさまるはずはない.近年の学際領域の広がりは,科学から哲学への回帰の傾向を示しているのかも知れない.放射線技術学も,これら細分化された科学の融合したものであり,ある意味,元の哲学へと道を辿っているとも考えられる. 現在,放射線技術学の領域で学位を修得する人は,主に工学あるいは医学で審査を受けている.しかし,放射線技術学は医学でも工学でもない.学位の修得のために,ある人は医学寄りに,ある人は工学寄りに価値観を変えて論文を書いている.これは非常に不自然な姿といわざるをえない.放射線技術学が放射線技術学の分野で評価されて初めて真の評価が与えられることになる.その放射線技術学が確立していないために,多くの素晴らしい研究が日の目を見ないことになってはいないだろうか.放射線技術学は,先にあげた種々の科学を個々に学んでも学び取ることができるものではない.それらをバラバラにして,再度放射線技術学として組み直すことによって初めて姿の見えてくるものである.そこに哲学が存在する.そのためには,現在,診療放射線技師を養成している学校はすべて 4 年制へと移行し,将来博士課程の大学院を持つことが必須である.最近では,学位にも保健学が増えてきているが,真の意味での「博士(保健学)」は,博士(保健学)を持つ診療放射線技師の資格を持つ人が出す学位であると考えている.そして,そのとき評価される論文に本学会誌に掲載されている論文が選ばれるようになったとき,本学会誌は世界にユニークな放射線技術学の分野の専門誌として,世界に一つしかない雑誌となるであろう.本会誌が会員とともに成長し,いつかそのような雑誌となることを願っている. (編集委員長) |