JSRT 巻頭言 | Jpn. J. Radiol. Technol. 2004; 60(7) |
連携から協業へ─Collaborationを目指して─
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小川 清 |
最近,「連携」ということばが多方面でよくみられる.「IT関連のデータの連携」,「縦割り行政部門の連携不足」,「産学官の連携が必要である」など,新聞紙上によく登場する.「連絡を取り合い一緒に物事をすること」という意味であるが,スポーツにおいてもチーム連携がよく叫ばれ,連携の熟成度がしばしば試合を決める.サッカーにおいては,「ワンタッチパスの連携から中央を抜け出た選手がゴールを奪った」などと使われる.野球でも得点に絡む内外野の連携プレーは試合を決めることが多い.連携プレーは基本動作を繰り返し反復して作り上げていかないと本番の試合でスムーズにできない.そこには,相手が捕りやすく,そして投げやすいところに投げる「思いやり」が要求され,それが続けばすばらしい連携プレーとなる. 本会においても最近よく登場してくる連携は,関連学会との連携だ.スポーツにおける連携の重要性に比べてこの分野では,まだまだこれからであり,多くの課題も抱えている.私が 2 年前に「技師会との連携」を巻頭言に書かせていただいたとき,ご批判も頂戴した.もちろん技師会は学会ではないという認識を常に持っているが,本会の会員の大部分を占める診療放射線技師が属する技師会との連携は必須であると以前から思っていた.これが最近評価されはじめ,動き出したことは,会員の目から見ても大変心強く,期待するものが多い. 昨今,どの学会でも認定技師制度が花盛りである.専門性を高める議論は悪くはないが,一会員の立場から見ると,いろいろな学会に認定技師が誕生することは,現場に混乱を来す.そこで学会連携であるが,基本的に自分の立場を崩してまで譲ることは絶対にしない.しかしながら,「自分(組織)のためだけにする」ことに対して,第三者である国民は評価しないだろう.仕事はうまくいけば誉められるが,失敗すれば「ごめんなさい」と謝るしかない,など何らかの反響があるが,自分の世界に生きていくと,そういう反応とは無縁になってしまう.2 輪や 4 輪はおなじ速度で,おなじ方向に動きやすいが,車輪が多くなればなるほど,そのうち 1 輪でも止まってしまえば,動かなくなり,最悪ひっくりかえってしまう.そこでは命令系でなく相談系でないとうまくいかない.本会の認定技師への対応は基本的に共同認定をするというスタンスは皆から賛同を得られると思う. 『いつもキャッチボールが教えてくれた』(東洋経済新報社)によると,キャッチボールには相手が捕りやすいように投げる「思いやり」,暴投したら謝る「マナー」,いい球がきたら相手を評価する「尊重」など,コミュニケーションの基本があるという.この精神を持って学会連携プレーに臨んでほしい. 各団体組織は,ある目的や理念のもとに収束されているので,当然進む道や思惑が存在する.自組織の自立と相手団体の尊厳を認めた,そしてちょっと勇気のある,少し根気のある対応が望まれる.連携に必要なことは,スタンスをどこにおくかという軸の安定だ.また,当事者が本会のみならず,その該当学会にも所属していることが望ましい.関係していないとどうしても自分がかわいくなり,擁護論のみしか出てこない.いずれにしても現状を踏まえ,先を見渡せる人,法人として「国民のためになにができるか」を考え実行できる人だ.本会にはそのような立場で活躍できる,有用で貴重な人材が多く存在していると私は確信している.それは,本会に画像と計測を抱合する総合的な研究分野の広さがあるからである.連携は協業までいって価値があるのである.その際の視点は国民の目,社会の目であろう.(理事) |